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ラマー・オドムのインタビュー

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2015年にはドラッグの過剰摂取により昏睡状態に陥るなどショッキングなニュースの渦中にあったラマー・オドムだったが、現在は平穏を取り戻している。そんな彼がキャリアを振り返ったインタビューを受けた。
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1999年のドラフト上位候補だったオドムは当時1位指名権を持っていたブルズに指名されるかもしれなかったという。しかしオドムはドラフト前のブルズとのインタビューを拒んでいた。

「当時はそれでよかった。1位指名されたくなかったんだ。」「(当時ブルズGMだった)ジェリー・クロースは僕の父親の健康状態や過去を聞いてきた。それは彼には関係のないことだった。ドラフトには関係のないことだった。彼と話してから1位指名されたくないと考えた。」

208cmのダイナミックなポイントフォワードは4位でクリッパーズに指名されたが、チームはなかなかうまくいかず、4シーズン過ごした後FAでチームを去った。しかし印象的ではあった。当時チームメイトだったキオン・ドゥーリング「俺達はみんな21歳かそこらで、ラマーはリーダーでありベストプレイヤーだった。彼は非利己的で、みな彼と一緒にプレーするのが好きだったよ。」と話した。
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マイアミ・ヒートで過ごした1シーズンはオドムに計り知れない影響を与えた。オドムはヒートに加入するまではトレーニングキャンプ前にワークアウトすることはなかったそうだが、ヒートのパット・ライリーは彼の人生を変えた。

「どうやってハードにプレーするか、ハードにプレーする、ということはどういうことなのか学んだよ。」「プエルトリコで76ersと試合をしたんだけど、自分はシュートが全然入らなかった。でもたくさんリバウンドをとって大事なところでand1を2つ決めた。僕は満足できなかったけど、パットがスタッツを見て"いいね。気に入ったよ。お前のハードなプレーが良かった"と言ったんだ。」

「マイアミでは、ハードにプレーしないやつはコートに立てない。そこが彼らのプログラムや組織を今でも尊敬している理由だ。たとえ彼らが昨季POに出れなかったとしてもね。彼らがどんな練習をしているか知っている。限界までプッシュするんだ。だから才能のある選手がマイアミに行くと花開くんだ。」「僕はキャリア全てでヒートの哲学を応用した。今のヒートの選手の目からもそれが分かる。」
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2004年にトレードでレイカーズに移籍したオドムはコービー・ブライアントとチームメイトとなった。とある日、練習に現れたオドムは、コービーがサーシャ・ブヤシッチの顔にエルボーするところを目撃したという。

「それは"なんてこった・・・コービーはマジに真剣だ・・・まだ午前10時だぞ・・・"って感じだった。」

「コービーほど競争心を持った選手はいないよ。」「D-Wadeとクリス・ポール・・・クリス・ポールがコービーの次くらいかな。コービーは朝のうちから全て、本当に全てをやり遂げていた。僕はヒートでそのことを学んでいたから、それが良かった。コービーと一緒にプレーするには自分のポジション、テリトリーを守るために強くならなくてはならないんだ。」

2009年、ブレイザーズがFAとなったオドムに高待遇のオファーを出したがオドムはレイカーズに残留した。

「もしあのときレイカーズを出ていたとしたらお金のためだけだった。」「2008年にパウ(ガソル)を獲得した。そしてそれは僕らを容易にした。彼はトライアングルなんて全く知らなかったのに最初の試合は驚くべきものだった。彼とのプレーは本当に簡単だった。ゲームをよく知ってるし、才能に溢れていた。右手左手、右フック左フック、バックフック、フェイダウェイ・・・。」

「彼もまた競争者だった。それについて十分な評価がされていないと思うよ。」


オドムはガソルとの類似点を指摘した。

「技巧派の選手は"ソフト"の烙印を押されてしまう。」「僕もパウと同じように自分のプレースタイルからそう言われた。ドリブルしたり、相手を煙に巻いたりすると、ソフトとされるんだ。人々は僕のディフェンスやリバウンドを評価してくれなかった。パウも僕と同じだった。」
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2009年と2010年にコービー、ガソルとともに連覇を果たしたオドムだったが、2011年にダラスにトレードされてしまう。

「あのトレードが僕のキャリアと目的を喪失させてしまった。」「LAにいること、環境、旧知の人々、出ていくのが辛かったよ。コービーとパウ、レイカーズとの思い出は素晴らしいものだったよ。あれは僕の人生で最高の時間だった。」

「僕はダラスにPOで負けた後のシーズンにトレードになった。しかもシックスマン賞も取っていたんだ。一体どうすればいいんだ、なんでなんだ?」

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2011年はそれだけではなかった。NBAがロックアウトに突入し、オドムはトレーニングしていなかった。そして従兄弟が死去した朝もそうだった。彼はそのシーズン終盤にはコートに戻ることもできなかった。オドムはずっと親族の死の渦中にあってもプレーしてきた。母親の死、祖母の死そして息子の死。しかしこのとき彼の体と心は砕かれた。

「あの年は辛かった。従兄弟が死んでしまったから。」「あれはロックアウトの年で僕はワークアウトしていなかった。あのシーズンの前、オーナーのマーク・キューバンに自分の状況を話した。僕は感情的になっていた。それでも昔の自分に戻れると思っていた。」

「ダーク・ノヴィツキーと一緒に活躍できたはずだったのに、そうならなかったのは残念だった。僕が精神的にも肉体的にも最高の状態でなかったのが残念だった。」


当時オドムとキューバンの間に敵意があったとされるが、オドムもキューバンも現在は恨みも個人的な感情も存在しないという。

キューバンは「彼を気の毒に思ったよ。」「恨んではいない。僕たちは彼が仕事ができるような精神状態にしようと、あらゆる手をつくしたけど、そうならなかった。」と語った。

レイカーズがオドムにプレイヤーデベロップメントコーチの仕事を紹介しようとしたがオドムは断った。オドムはレイカーズのドラフトプロセスにて元チームメイトであり友人であるヘッドコーチ、ルーク・ウォルトンとレイカーズの首脳陣と共に時間を過ごした。

オドムにはまだまだ自分自身のため、自分の人生について決めるための時間が必要なのだ。

「来年、BIG3(引退した選手達の3on3リーグ)でプレーすると思うよ。」「自分に何かをもたらしてくれると思う。」


2015年の人生のドン底からは遠い道のりだったがオドムは現在落ち着いている。彼は彼自身と、彼の体、家族、生活、ビジネスに向き合っている。
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